2010年5月5日水曜日

その街の子ども

NHKでやっていた、阪神大震災15年で制作したドラマ。


出ているのは、森山未來と、佐藤江梨子。なんでこんなキャストなんだろうと思っていたら、どちらも、その街の子どもだったのだ。方言(あれを関西弁と言うべきなのか、大阪弁というべきなのか、神戸弁と言うべきなのかはわからないから、あえて「方言」)も、余り違和感を感じることなく進んでいく。その街の子どもだったからこそ、できる自然なシナリオ。

ドラマのように進んでいくように見えて、ドラマっぽさを感じない。ある意味でドキュメンタリーのように進行するストーリー。どこまで台本があるのかはわからない。おそらく、半分は事実で、半分は台本なのだろうけれど、その街でおこったこと、その街で見えてきたこと、その街で感じたことが、その街の子どもたちにとって等身大に見えてくる。

彼らが語っているのは、本当に台本通りだったのだろうか。そんな疑問が出てくる。役柄や展開はある程度決まっていたのだろうが、それ以外はほとんど決まっていないのだろう。役柄上、森山はなんども放置自転車を持って行こうとするのだが、あれを素というべきではないだろうし、素ではないだろうと思う。

当時、高校2年生くらいで、当時仙台の高校生だったから、その街のことはよくわからない。ここ数年、毎年のように出かけている街だけれど、やっぱり、その街でおこった出来事は、その先に透けて見えるものではない。その街の子どもだから、感じたこと。その街の子どもだから、思ったこと。経験なんていう言葉で片付けてはいけない、彼らの実体験は、その街の子どもが背負ってしまった、ある意味で運命なのかもしれない。半分本音で、何度も言うようだけれどドラマというより、ドキュメンタリーとして、ストーリーは進んでいく。

最後に、目的地である公園の手前にある横断歩道で、2人は別れる。

「また、来年な」

そういって、森山は、公園に行くことはなかった。行けなかったのか。それとも、自分の意志で行かなかったのか。それはわからない。その街の子どもだからこそ、行くべきだと思うこともあるだろうし、その街の子どもだからこそ、行かないという選択肢もあるのだろうと思う。

あれから15年。その街の子どもは、その街を背負っていく。そして、ラストシーン。

慰霊祭会場に到着した(本物の慰霊祭で撮影したらしい)佐藤は、カメラを気にすることもできないのだろう、大粒の涙を流して、ろうそくの灯りの前に立ち尽くす。

その街の子どもが背負った運命の大きさを思う。

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