台風で土石流が起こった。
なぜ、この地域で特別警報が出なかったのか、とする報道がある。
一言で言えば、「基準に満たなかった」しかない。怠けていたのを別にすれば。
特別警報が出ていれば防げたのか。それだけで判断するのは難しい。避難指示を出したところで避難するのか。避難中に他の災害に巻き込まれないのか。ことさらに意味の強い特別警報ではあるけれど、発表すれば無条件に被害が軽減できるというものでもない。
今回の件と結びつけるつもりはないが、この手の話によくある結論としては、こんなのがある。
●基準を追加します
→素人からすれば、複雑になるだけです。まして、例外が作られた瞬間に、一般には「よくわからない」と言われるのがオチです。制度設計で基準を追加すれば、よほどうまくやらないと「悪いことを考える人も、本当に必要とする人も切り捨てられる」ことになります。
●基準を目安に、最後は人が判断します
→判断理由を細かく問われます。制度設計なら、「恣意的な運用」と言われかねません。
●誤り防止のため、厳しくします
→必要なときに発動されないリスクと、不要なのに発動されるリスクを天秤に掛けることに、どれだけの意味があるか、ということを考えていなければ、誤り防止に踏み込む意味はありません。
基準について問題が起こると、だいたいこんな話が出てくる。最終的な落としどころは、おそらく「原則論」にするか、または機械的な基準にすることしかない。
万事解決してくれる基準なんて、おそらく存在しないことは、法制度にしても判断基準にしても、作る側はわかっているはず。だから人の判断を入れるのだが、それをやると「恣意的な判断」と言われる。
とはいえ、基準を作らないと、誰も従わない。
少なくとも気象のように客観的な基準が作れるのであれば、基準を全公開して、後は受け取った側の判断に任せるのが正しそうな気がする。
これもよくある話として、基準を作る、作った基準に不備があると指摘される、基準を細かくする、「制度が使いにくい」「わかりにくい」「お役所仕事」といわれる(が、不備があるとの指摘で細かくした)、なんてのがある。
基準は作るのも、動かすのも、本当に難しい。