2013年10月21日月曜日

ポータブルなメディアプレーヤー

ジムのマシントレーニング。一応地デジが見られるのだけれど、番組が面白くないと、やる気もなくなります。

汗をかくので防水。完全でなくともよい。
音楽も動画も見たい。
曲の変更は柔軟にしたい。
容量はそこそこほしい。

条件をまとめると、こんなところになりますかね。が、そんな条件を満たすものは、どうやっても高いか、存在しない。

では、何を妥協しようか。容量かな。動画は見たいよね。少なくとも生活防水は必須だよね。

と思ったら、よいものがありました。

機種変更した、古いスマホ。

防水です。
音楽も動画も再生可能です。
SDカードなので、変更も柔軟。
容量は16Gを積んでいます。

おお、これなら。

バッテリーの残量が気になるところではあるけれど、通信機能をオフにすれば、そこそこ持つでしょう。

ということで、機種変更前のスマホを起動。最低限のアプリに絞り込み、SDにデータを放り込みました。

これならいけそうです。

2013年10月17日木曜日

基準の話。

台風で土石流が起こった。

なぜ、この地域で特別警報が出なかったのか、とする報道がある。

一言で言えば、「基準に満たなかった」しかない。怠けていたのを別にすれば。

特別警報が出ていれば防げたのか。それだけで判断するのは難しい。避難指示を出したところで避難するのか。避難中に他の災害に巻き込まれないのか。ことさらに意味の強い特別警報ではあるけれど、発表すれば無条件に被害が軽減できるというものでもない。

今回の件と結びつけるつもりはないが、この手の話によくある結論としては、こんなのがある。

●基準を追加します
→素人からすれば、複雑になるだけです。まして、例外が作られた瞬間に、一般には「よくわからない」と言われるのがオチです。制度設計で基準を追加すれば、よほどうまくやらないと「悪いことを考える人も、本当に必要とする人も切り捨てられる」ことになります。

●基準を目安に、最後は人が判断します
→判断理由を細かく問われます。制度設計なら、「恣意的な運用」と言われかねません。

●誤り防止のため、厳しくします
→必要なときに発動されないリスクと、不要なのに発動されるリスクを天秤に掛けることに、どれだけの意味があるか、ということを考えていなければ、誤り防止に踏み込む意味はありません。

基準について問題が起こると、だいたいこんな話が出てくる。最終的な落としどころは、おそらく「原則論」にするか、または機械的な基準にすることしかない。

万事解決してくれる基準なんて、おそらく存在しないことは、法制度にしても判断基準にしても、作る側はわかっているはず。だから人の判断を入れるのだが、それをやると「恣意的な判断」と言われる。

とはいえ、基準を作らないと、誰も従わない。

少なくとも気象のように客観的な基準が作れるのであれば、基準を全公開して、後は受け取った側の判断に任せるのが正しそうな気がする。

これもよくある話として、基準を作る、作った基準に不備があると指摘される、基準を細かくする、「制度が使いにくい」「わかりにくい」「お役所仕事」といわれる(が、不備があるとの指摘で細かくした)、なんてのがある。

基準は作るのも、動かすのも、本当に難しい。